公の時代
1,980円(税180円)
「深読みのすすめ」『龍神からつながる強運人生』編 第2弾でもご紹介。
大杉日香理さんおすすめ本
卯城竜太(Chim↑Pom), 松田修著
◆4月30日(日)開催
「深読みのすすめ」『龍神からつながる強運人生』編 第2弾にて
ご紹介の大杉日香理さんおすすめ本です。
「アーティスト」が消失した次は、「個」が消える番だ。
復興、オリンピック、芸術祭、都市再開発、表現の自由ーー
“ブラックボックス化”した大正の前衛アートを手がかりに、
開かれた社会(パブリック)と「個」を探る画期的な公共/
芸術論!
津田大介、青木淳、福住廉の三氏も対話に参加。
ウェブ版「美術手帖」での好評連載を全面改訂し、新たな論
として更新。
「あいちトリエンナーレ2019」の“公開”検閲・展示中止を
受けた対談も急遽追加。
大きなアートフェアや芸術祭に率先して「配置」される
アーティスト、民営化されて「マジョリティ」しか入れなく
なった公園や広場、「滅私奉公」して作品を社会から閉ざしていく
市民のタイムライン……
「みんな」「一般」の名のもとに、トップダウン/ボトムアップ
双方から個人が侵食されていくとき、新しい公共圏と自由を
どうつくっていくか?
「個と公」の問題を、アーティストとアートの存在意義を
テコにして実践的に考える。
目次:
はじめに 卯城竜太
1. いまアーティスト論を語るということ
2. 「マジョリティ」園の出現
3. 「にんげんレストラン」は生きていてた
4. 公化する個、個化する公
5. 日本現代アートの始祖・望月桂と黒耀会 +福住廉
6. 横井弘三が夢見た理想郷の建設
7. 大正の前衛が開いた個のポテンシャル
8. 「表現の自由」が問われた芸術祭 +津田大介
9. 新しい公共をつくる方法論とは +青木淳
10. アーティストたちよ、表層を揺さぶれ
おわりに 松田修
卯城による「日本の前衛」DIY年表
「近年、『個と公』のバランスが大きく変わるなかで、
僕らには、アーティストというつくり手として、言いたい
ことがたくさんあった。対談内にウザいくらい出てくる
『個』『アーティスト』『大正』といったいくつかの
キーワードのうち、とくに『公』の使い方は、論として
開始当時はガバガバだ。いまから見るとツッコミどころ
満載だが、なぜ僕らがそれほどまでに幅広くいろんな集団
や容れ物を『公』と呼びたかったのか。
それがいったい何を示唆しているのか、だんだんとわかる
ようになってきたのは、僕らが自らを『私』ではなく、
『個』として捉えることにこだわりを持っていると気づいて
からだった」(卯城竜太「はじめに」より)
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大杉日香理さんおすすめ本
卯城竜太(Chim↑Pom), 松田修著
◆4月30日(日)開催
「深読みのすすめ」『龍神からつながる強運人生』編 第2弾にて
ご紹介の大杉日香理さんおすすめ本です。
「アーティスト」が消失した次は、「個」が消える番だ。
復興、オリンピック、芸術祭、都市再開発、表現の自由ーー
“ブラックボックス化”した大正の前衛アートを手がかりに、
開かれた社会(パブリック)と「個」を探る画期的な公共/
芸術論!
津田大介、青木淳、福住廉の三氏も対話に参加。
ウェブ版「美術手帖」での好評連載を全面改訂し、新たな論
として更新。
「あいちトリエンナーレ2019」の“公開”検閲・展示中止を
受けた対談も急遽追加。
大きなアートフェアや芸術祭に率先して「配置」される
アーティスト、民営化されて「マジョリティ」しか入れなく
なった公園や広場、「滅私奉公」して作品を社会から閉ざしていく
市民のタイムライン……
「みんな」「一般」の名のもとに、トップダウン/ボトムアップ
双方から個人が侵食されていくとき、新しい公共圏と自由を
どうつくっていくか?
「個と公」の問題を、アーティストとアートの存在意義を
テコにして実践的に考える。
目次:
はじめに 卯城竜太
1. いまアーティスト論を語るということ
2. 「マジョリティ」園の出現
3. 「にんげんレストラン」は生きていてた
4. 公化する個、個化する公
5. 日本現代アートの始祖・望月桂と黒耀会 +福住廉
6. 横井弘三が夢見た理想郷の建設
7. 大正の前衛が開いた個のポテンシャル
8. 「表現の自由」が問われた芸術祭 +津田大介
9. 新しい公共をつくる方法論とは +青木淳
10. アーティストたちよ、表層を揺さぶれ
おわりに 松田修
卯城による「日本の前衛」DIY年表
「近年、『個と公』のバランスが大きく変わるなかで、
僕らには、アーティストというつくり手として、言いたい
ことがたくさんあった。対談内にウザいくらい出てくる
『個』『アーティスト』『大正』といったいくつかの
キーワードのうち、とくに『公』の使い方は、論として
開始当時はガバガバだ。いまから見るとツッコミどころ
満載だが、なぜ僕らがそれほどまでに幅広くいろんな集団
や容れ物を『公』と呼びたかったのか。
それがいったい何を示唆しているのか、だんだんとわかる
ようになってきたのは、僕らが自らを『私』ではなく、
『個』として捉えることにこだわりを持っていると気づいて
からだった」(卯城竜太「はじめに」より)