実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義
2,970円(税270円)
西田幾多郎の名著『善の研究』の入門講座や
読書会の内容を講義した講義録の第二弾で待望の最新刊!
『善の研究』第二編「実在」の徹底解読書。
大熊玄著
2月2日頃入荷予定。
※現在、ご予約受付中。
◆タテ糸の本物名著本として有名な、西田幾多郎著『善の研究』。
実際に読まれた方はよくご存知の挫折してしまう程の難解さがあり、
挑戦したくても、なかなか読めないのが現実。
そんな、名著『善の研究』を分かり易く解説した良い本はないかと
探していたところ、2年前に出版社の方からご紹介いただいたのが、
『善の研究』の第三編「善」に特化して、初学者でも読める平易な
現代口語訳にして講義した講義録『善とは何か』でした。
以前、すごい人気で現在は絶版の、鈴木大拙の思想を中学生向けに書いた
入門書『鈴木大拙の言葉』の著者、大熊玄氏が10年以上に渡り開催してきた、
『善の研究』の入門講座や読書会の内容を講義した講義録で、読者対象が、
なんとなく哲学に興味がある人、自分の生き方を根本から考えたい人、
西田幾多郎に関心のある人、また、『善の研究』を読んでみたけど挫折した人
なので、哲学の予備知識も必要なく、初めて哲学書を読むという人も問題なく
読めるところも注目の1つで以前大人気だったのですが・・・、
この度、2年ぶりに、同じく大熊玄氏著『善の研究』講義録 待望の第二弾
『実在とは何か』が発売になります。
第二弾は、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、第二編「実在」に
特化した徹底的解説書です。
「この「実在」は、歴史のあるテーマなのですが、けっして古くなることが
ありません。西田も実在について考える必要性を第一章で書いていますが、
それは百年後の今にも当てはまります。むしろ、その重要性はさらに高まって
いるかもしれません。
現代の私たちの生活には、いわゆる実在でないもの(フィクション、フェイク)
が溢れかえり、どこか実在性(リアリティ)が希薄となっているように思えます
から、そこで現代に生きる私たちも、『善の研究』で語られる実在を参考にして、
自分自身にとっての「実在」についてあらためて考えることができればと思います。」
はじめにより
「西田幾多郎が生きていた時代にも、天災・人災をあわせて多くの惨事がありました。
国内で内戦(西南戦争)があり。対外的にも多くの戦争があり、膨大な数の死者・
負傷者がでました。なお、『善の研究』出版の数年後には、新型インフルエンザの蔓延
で約四十万人が、その後の関東大震災では約十万人が亡くなったとされています。
『善の研究』はそうした苦難・逆境の時代に書かれ、読まれていた本なのです。
このように世間に災禍が次々に起こり、逆境が続くときは、アリストテレスの次の
言葉を思い出します。
「教養は順境にあっては飾りであり、逆境にあっては避難所である。」
『ギリシア哲学者列伝』より
ここで「教養」と訳されている「パイデイア」は、現代日本語の一般的な意味では
なく、もとの<その人の個性を知り、その人らしい成長・発達を遂げること>という
意味で理解したほうがよいでしょう。そしてこれは、西田の「善」についての考え方
とも重なります。つまり、善とは、「自己の発展感性」や「我々の精神が種々の能力を
発展し円満なる発達を遂げる」ことであり、人間の善は、「竹は竹、松は松と各自その
天賦を十分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮する」ことだというわけです。
(『善の研究』第三編第九章)。
そこで、西田は、アリストテレスにも言及していますから、意識的に自分の考えと
アリストテレスの考えを結びつけています。すなわち、その人にしかできない自己の成長
は、アリストテレスの文脈で言えば「教養」であり、西田の文脈で言えば「善」という
ことになります。
ちなみに、ここで「飾り」と訳されている「コスモス」は「秩序・調和(のある世界)」
も意味しますから、教養が順境にあって「コスモス」だというのは、私たちの日常生活を
きちんと秩序立て整えてくれるものだ、ということです。そして、問題のない平凡な
日常生活(順境)では「飾り」・秩序」となるような「教養」(自己の発展完成)こそが、
異常事態としての災禍(逆境)ではなんとか生き残るための足場(避難所)になる、
というわけです。
災禍というのは、戦争や異常気象、パンデミックのような大きな話だけでなく、もっと
身近なこととしても私たちの日常生活にいきなり入り込んできます。たとえば、学校や
職場で行き詰まる、病気にかかる、親しい人と離別するなどです。西田もその生涯で
、社会的な逆境に遭遇するだけでなく、個人としても、学校を中退し、仕事を免職され、
目を病み肺を患い、多くの肉親と死別するなど、多くの挫折・苦境を経験しています。
そのような災禍や苦境、つまり、これまで自分の立っている場所がぐらぐらと崩れていく
ようなとき、自らの思索を深めていくという体験は、きっとその人の実人生を支えて
くれる一助になると思います。
本書の第一章冒頭で言われたように、「知識においての真理は直(ただち)に実践上の真理」
なのですから、哲学は、学問的に探究するだけでなく、私たちの日常生活に秩序を与え、
苦難を生き抜く「足場」にもなるはずです。そう願って、私はこのような本を書いています。」
おわりにより
<目次より>
はじめに
講義を始めるにあたって
第一章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)
〔考究の出立点〕
第二章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である
〔意識現象が唯一の実在である〕
第三章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかとなる
〔実在の真景〕
第四章 真の実在(意識現象)にはいつも同一の形式がある
〔真実在は常に同一の形式を有っている〕
第五章 真の実在は「一即多、多即一」という根本的なあり方をしている
〔真実在の根本的方式〕
第六章 実在はただ一つだけ
〔唯一実在〕
第七章 実は、「二」に分化し、「多」へと発展する
〔実在の分化発展〕
第八章 「自然」にも、実在としての自己がある
〔自然〕
第九章 「精神」とは、実在から抽出された統一作用のこと
〔精神〕
第十章 「神」とは、究極の実在のこと
〔実在としての神〕
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読書会の内容を講義した講義録の第二弾で待望の最新刊!
『善の研究』第二編「実在」の徹底解読書。
大熊玄著
2月2日頃入荷予定。
※現在、ご予約受付中。
◆タテ糸の本物名著本として有名な、西田幾多郎著『善の研究』。
実際に読まれた方はよくご存知の挫折してしまう程の難解さがあり、
挑戦したくても、なかなか読めないのが現実。
そんな、名著『善の研究』を分かり易く解説した良い本はないかと
探していたところ、2年前に出版社の方からご紹介いただいたのが、
『善の研究』の第三編「善」に特化して、初学者でも読める平易な
現代口語訳にして講義した講義録『善とは何か』でした。
以前、すごい人気で現在は絶版の、鈴木大拙の思想を中学生向けに書いた
入門書『鈴木大拙の言葉』の著者、大熊玄氏が10年以上に渡り開催してきた、
『善の研究』の入門講座や読書会の内容を講義した講義録で、読者対象が、
なんとなく哲学に興味がある人、自分の生き方を根本から考えたい人、
西田幾多郎に関心のある人、また、『善の研究』を読んでみたけど挫折した人
なので、哲学の予備知識も必要なく、初めて哲学書を読むという人も問題なく
読めるところも注目の1つで以前大人気だったのですが・・・、
この度、2年ぶりに、同じく大熊玄氏著『善の研究』講義録 待望の第二弾
『実在とは何か』が発売になります。
第二弾は、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、第二編「実在」に
特化した徹底的解説書です。
「この「実在」は、歴史のあるテーマなのですが、けっして古くなることが
ありません。西田も実在について考える必要性を第一章で書いていますが、
それは百年後の今にも当てはまります。むしろ、その重要性はさらに高まって
いるかもしれません。
現代の私たちの生活には、いわゆる実在でないもの(フィクション、フェイク)
が溢れかえり、どこか実在性(リアリティ)が希薄となっているように思えます
から、そこで現代に生きる私たちも、『善の研究』で語られる実在を参考にして、
自分自身にとっての「実在」についてあらためて考えることができればと思います。」
はじめにより
「西田幾多郎が生きていた時代にも、天災・人災をあわせて多くの惨事がありました。
国内で内戦(西南戦争)があり。対外的にも多くの戦争があり、膨大な数の死者・
負傷者がでました。なお、『善の研究』出版の数年後には、新型インフルエンザの蔓延
で約四十万人が、その後の関東大震災では約十万人が亡くなったとされています。
『善の研究』はそうした苦難・逆境の時代に書かれ、読まれていた本なのです。
このように世間に災禍が次々に起こり、逆境が続くときは、アリストテレスの次の
言葉を思い出します。
「教養は順境にあっては飾りであり、逆境にあっては避難所である。」
『ギリシア哲学者列伝』より
ここで「教養」と訳されている「パイデイア」は、現代日本語の一般的な意味では
なく、もとの<その人の個性を知り、その人らしい成長・発達を遂げること>という
意味で理解したほうがよいでしょう。そしてこれは、西田の「善」についての考え方
とも重なります。つまり、善とは、「自己の発展感性」や「我々の精神が種々の能力を
発展し円満なる発達を遂げる」ことであり、人間の善は、「竹は竹、松は松と各自その
天賦を十分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮する」ことだというわけです。
(『善の研究』第三編第九章)。
そこで、西田は、アリストテレスにも言及していますから、意識的に自分の考えと
アリストテレスの考えを結びつけています。すなわち、その人にしかできない自己の成長
は、アリストテレスの文脈で言えば「教養」であり、西田の文脈で言えば「善」という
ことになります。
ちなみに、ここで「飾り」と訳されている「コスモス」は「秩序・調和(のある世界)」
も意味しますから、教養が順境にあって「コスモス」だというのは、私たちの日常生活を
きちんと秩序立て整えてくれるものだ、ということです。そして、問題のない平凡な
日常生活(順境)では「飾り」・秩序」となるような「教養」(自己の発展完成)こそが、
異常事態としての災禍(逆境)ではなんとか生き残るための足場(避難所)になる、
というわけです。
災禍というのは、戦争や異常気象、パンデミックのような大きな話だけでなく、もっと
身近なこととしても私たちの日常生活にいきなり入り込んできます。たとえば、学校や
職場で行き詰まる、病気にかかる、親しい人と離別するなどです。西田もその生涯で
、社会的な逆境に遭遇するだけでなく、個人としても、学校を中退し、仕事を免職され、
目を病み肺を患い、多くの肉親と死別するなど、多くの挫折・苦境を経験しています。
そのような災禍や苦境、つまり、これまで自分の立っている場所がぐらぐらと崩れていく
ようなとき、自らの思索を深めていくという体験は、きっとその人の実人生を支えて
くれる一助になると思います。
本書の第一章冒頭で言われたように、「知識においての真理は直(ただち)に実践上の真理」
なのですから、哲学は、学問的に探究するだけでなく、私たちの日常生活に秩序を与え、
苦難を生き抜く「足場」にもなるはずです。そう願って、私はこのような本を書いています。」
おわりにより
<目次より>
はじめに
講義を始めるにあたって
第一章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)
〔考究の出立点〕
第二章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である
〔意識現象が唯一の実在である〕
第三章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかとなる
〔実在の真景〕
第四章 真の実在(意識現象)にはいつも同一の形式がある
〔真実在は常に同一の形式を有っている〕
第五章 真の実在は「一即多、多即一」という根本的なあり方をしている
〔真実在の根本的方式〕
第六章 実在はただ一つだけ
〔唯一実在〕
第七章 実は、「二」に分化し、「多」へと発展する
〔実在の分化発展〕
第八章 「自然」にも、実在としての自己がある
〔自然〕
第九章 「精神」とは、実在から抽出された統一作用のこと
〔精神〕
第十章 「神」とは、究極の実在のこと
〔実在としての神〕