【清水店長の解説動画付】「瞑想読書」のための本物名著2冊セット!
8,360円(税760円)
【清水店長の解説動画付】
「瞑想読書」のための本物名著2冊セット!
YouTube動画でのご案内はこちら↓
◆【清水店長の解説動画付】「瞑想読書」のための本物名著2冊セット!
◆今、清水店長大絶賛!
フランス人チベット僧のマチウ・リカール氏と東洋人物理学者
チン スアン・トゥアン氏の対談本『掌の中の無限』と、
『掌の中の無限』姉妹本で、マチウ・リカール氏とリカール氏の
実の父親でフランスの哲学者の科学と宗教をめぐる異色の親子の
対話本『僧侶と哲学者』の2冊セットです。
以下、清水店長のブログ「瞑想読書?」より
「さて、最近よく思うのが、
頭がぐらぐらする本を読むと、頭が重くなり、
やがて眠くなることがあります。これが実に心地よい!
頭が重くなるという現象は、
体を鍛えることと同じで、脳に
強く負荷をかけている証拠であり、
頭が重くなる心地よさは脳がα波になっている
証拠であり、瞑想している効果と同じだ。
その証拠に、頭がぐらぐらする本を
読み終わったとき、何が書かれていたのか
さっぱりわからないことが多いが、その後に
必ず何かしらのインスピレーションが湧いてくる。
今の社会は、既知からの自由が、
精神世界において最も重要なことだと考えています。
そのためには、分かってしまう読書より、
頭がぐらぐらする読書によって、
インスピレーションが湧く瞑想読書をオススメしたい。」
清水店長の解説付でお届けする、「瞑想読書」実践のために
年末年始にかけて、じっくりとお読みいただきたい、12月の
おすすめ名著2冊セットになります。
2022年11月の成幸読書選定本『視点という教養』のテーマでも
ある「リベラルアーツ(教養)」の観点から見ても、清水店長が
「最高のリベラルアーツの本!」と太鼓判を押す本物名著になりますが、
頭がぐらぐらする本なので、心ある方のご注文をお待ちしています!
◆『掌の中の無限 チベット仏教と現代科学が出会う時』
現象世界がかりそめのものであり、固有の実体をもたないことについては、
仏教哲学の説くところと現代物理学者の大半が考えているところは一致
しているらしいと、これまで言われてきた。
しかし、それについての深い議論は聞いたことがない。ここに幸運にも、
分子生物学の道からチベットの高僧の下での修行へと転身したフランス人僧侶と、
ベトナム出身で仏教の伝統の下に育ったアメリカ人天体物理学者の間に、
その議論が互いの納得のいくまで繰り広げられる機会が生まれた。
たがいに相手の言い分に誠実に耳を傾け、問題の本質を突き止めようとする
態度から、自然に「人はどう生きるべきか」という問いへの道筋が現れてくる。
一粒の砂に宇宙を見よ。人間の未来をひらく僧侶と科学者の最高の対話。
<目次より>
道の交わるところで/存在と非存在ー宇宙に始まりはあるか/
大いなる時計職人を求めてー組織者原理は存在するか/
一粒の砂の中の宇宙ー現象の相互依存と全体性/
現実という蜃気楼ー素粒子の存在について/
夏雲を貫く稲妻のようにー現実の中心にある非恒常性(無常)/
生き物ごとに違う現実ー知の雪が溶けるとき/
私たちを生みだす行為ー個人の運命と集団の運命/時間の問題/
カオスとハーモニーー原因から結果へ〔ほか〕
◆『僧侶と哲学者』
チベット仏教の神髄を知る恰好の書、科学と宗教をめぐる異色の親子の白熱討論!
フランスの哲学者ルヴェルは、哲学者とは本来、ソクラテスのように知恵の
体現者であり実践者であったはずなのに、現代の哲学も科学も生きる知恵には
無関心であることを率直に認める。
そして、仏教が西欧で強い関心の的になる背景には、この空白を埋めたいという
願望があると考える。彼は、前途洋洋の分子生物学者の道を捨ててチベットの
高僧の下で修行した息子リカールと、真摯な議論を交わす。彼によれば、西洋思想
の基軸は、意識ある主体としての人間の自立性の確立と、人間による世界への
働きかけであり、17世紀以降、みなが歴史の進歩を信じてきた。
完全に行き詰まった世界の現状を前にして、仏教はわれわれに何を与えることが
できるのか。人間にとって一番大事な問い、いかに生きるべきかについて、
僧侶は、仏陀の教えに従い、内面の完成に向かおうとする仏教の真のあり方を
哲学者に説く。哲学者は、ギリシャ哲学からライプニッツに至る西洋哲学の歴史、
認識論、精神分析などと突き合わせる形で、仏教の精神の科学、観想的科学に
ついて僧侶のことばを理解しようと努める。
自我は実体のない幻想であり、あるのはたえざる意識の流れのみとする仏教の
考え方をめぐって、対話は白熱する。
チベットの仏教文化が今、中国の暴力を伴う強制的近代化に脅かされている
のに、なぜダライ・ラマがあくまでも非暴力に徹し、対話を求め続けるのかが、
本書によってよくわかる。仏教の本質に発しているのだ。
<目次より>
科学研究から精神の探究へ/宗教なのか、哲学なのか?/
ブラックボックスの幽霊/精神の科学?/
仏教の形而上学/世界への働きかけと自己への働きかけ/
仏教と西洋/宗教的精神性と脱宗教的精神性/
暴力はどこから生まれるか?/知恵、科学、政治/
世界の屋根の上の赤旗/仏教ー衰退と再興/
信仰、儀礼、迷信/仏教と死/個人が王様/仏教と精神分析/
文化の影響力と精神の伝統/進歩と新しさについて/
僧侶が哲学者に質問する/哲学者の結論/僧侶の結論
「瞑想読書」のための本物名著2冊セット!
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◆【清水店長の解説動画付】「瞑想読書」のための本物名著2冊セット!
◆今、清水店長大絶賛!
フランス人チベット僧のマチウ・リカール氏と東洋人物理学者
チン スアン・トゥアン氏の対談本『掌の中の無限』と、
『掌の中の無限』姉妹本で、マチウ・リカール氏とリカール氏の
実の父親でフランスの哲学者の科学と宗教をめぐる異色の親子の
対話本『僧侶と哲学者』の2冊セットです。
以下、清水店長のブログ「瞑想読書?」より
「さて、最近よく思うのが、
頭がぐらぐらする本を読むと、頭が重くなり、
やがて眠くなることがあります。これが実に心地よい!
頭が重くなるという現象は、
体を鍛えることと同じで、脳に
強く負荷をかけている証拠であり、
頭が重くなる心地よさは脳がα波になっている
証拠であり、瞑想している効果と同じだ。
その証拠に、頭がぐらぐらする本を
読み終わったとき、何が書かれていたのか
さっぱりわからないことが多いが、その後に
必ず何かしらのインスピレーションが湧いてくる。
今の社会は、既知からの自由が、
精神世界において最も重要なことだと考えています。
そのためには、分かってしまう読書より、
頭がぐらぐらする読書によって、
インスピレーションが湧く瞑想読書をオススメしたい。」
清水店長の解説付でお届けする、「瞑想読書」実践のために
年末年始にかけて、じっくりとお読みいただきたい、12月の
おすすめ名著2冊セットになります。
2022年11月の成幸読書選定本『視点という教養』のテーマでも
ある「リベラルアーツ(教養)」の観点から見ても、清水店長が
「最高のリベラルアーツの本!」と太鼓判を押す本物名著になりますが、
頭がぐらぐらする本なので、心ある方のご注文をお待ちしています!
◆『掌の中の無限 チベット仏教と現代科学が出会う時』
現象世界がかりそめのものであり、固有の実体をもたないことについては、
仏教哲学の説くところと現代物理学者の大半が考えているところは一致
しているらしいと、これまで言われてきた。
しかし、それについての深い議論は聞いたことがない。ここに幸運にも、
分子生物学の道からチベットの高僧の下での修行へと転身したフランス人僧侶と、
ベトナム出身で仏教の伝統の下に育ったアメリカ人天体物理学者の間に、
その議論が互いの納得のいくまで繰り広げられる機会が生まれた。
たがいに相手の言い分に誠実に耳を傾け、問題の本質を突き止めようとする
態度から、自然に「人はどう生きるべきか」という問いへの道筋が現れてくる。
一粒の砂に宇宙を見よ。人間の未来をひらく僧侶と科学者の最高の対話。
<目次より>
道の交わるところで/存在と非存在ー宇宙に始まりはあるか/
大いなる時計職人を求めてー組織者原理は存在するか/
一粒の砂の中の宇宙ー現象の相互依存と全体性/
現実という蜃気楼ー素粒子の存在について/
夏雲を貫く稲妻のようにー現実の中心にある非恒常性(無常)/
生き物ごとに違う現実ー知の雪が溶けるとき/
私たちを生みだす行為ー個人の運命と集団の運命/時間の問題/
カオスとハーモニーー原因から結果へ〔ほか〕
◆『僧侶と哲学者』
チベット仏教の神髄を知る恰好の書、科学と宗教をめぐる異色の親子の白熱討論!
フランスの哲学者ルヴェルは、哲学者とは本来、ソクラテスのように知恵の
体現者であり実践者であったはずなのに、現代の哲学も科学も生きる知恵には
無関心であることを率直に認める。
そして、仏教が西欧で強い関心の的になる背景には、この空白を埋めたいという
願望があると考える。彼は、前途洋洋の分子生物学者の道を捨ててチベットの
高僧の下で修行した息子リカールと、真摯な議論を交わす。彼によれば、西洋思想
の基軸は、意識ある主体としての人間の自立性の確立と、人間による世界への
働きかけであり、17世紀以降、みなが歴史の進歩を信じてきた。
完全に行き詰まった世界の現状を前にして、仏教はわれわれに何を与えることが
できるのか。人間にとって一番大事な問い、いかに生きるべきかについて、
僧侶は、仏陀の教えに従い、内面の完成に向かおうとする仏教の真のあり方を
哲学者に説く。哲学者は、ギリシャ哲学からライプニッツに至る西洋哲学の歴史、
認識論、精神分析などと突き合わせる形で、仏教の精神の科学、観想的科学に
ついて僧侶のことばを理解しようと努める。
自我は実体のない幻想であり、あるのはたえざる意識の流れのみとする仏教の
考え方をめぐって、対話は白熱する。
チベットの仏教文化が今、中国の暴力を伴う強制的近代化に脅かされている
のに、なぜダライ・ラマがあくまでも非暴力に徹し、対話を求め続けるのかが、
本書によってよくわかる。仏教の本質に発しているのだ。
<目次より>
科学研究から精神の探究へ/宗教なのか、哲学なのか?/
ブラックボックスの幽霊/精神の科学?/
仏教の形而上学/世界への働きかけと自己への働きかけ/
仏教と西洋/宗教的精神性と脱宗教的精神性/
暴力はどこから生まれるか?/知恵、科学、政治/
世界の屋根の上の赤旗/仏教ー衰退と再興/
信仰、儀礼、迷信/仏教と死/個人が王様/仏教と精神分析/
文化の影響力と精神の伝統/進歩と新しさについて/
僧侶が哲学者に質問する/哲学者の結論/僧侶の結論