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出版社品切のため、店頭分6セットのみで売り切れ次第販売終了!西田幾多郎の弟子であり、禅の立場から哲学を見つめた森本省念老師の語録と回想上下巻セット
【<現品限り>残り6セットで販売終了】森本省念老師 上下巻セット
5,126円(税466円)
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【<現品限り>残り6セットで販売終了】森本省念老師 上下巻セット
5,126円(税466円)
出版社品切のため、店頭分6セットのみで売り切れ次第販売終了!
西田幾多郎の弟子であり、禅の立場から哲学を見つめた森本省念老師
の語録と回想上下巻セット


出版社在庫僅少のため、店頭分の残り1セットで完売したら販売終了させていただきます。
この機会に、気になる方は、骨のある本物名著を是非!

【ご注文にあたってご確認ください。】
こちらの店頭分の現品限り売り切れ次第、販売終了の本物名著本は、
しばらく読書のすすめ店頭に置かれていた本で、読んでいただく分
には問題ない新品の書籍ですが、多少ではありますが、経年による
本のヨレや焼けがありますことをご了承の上、ご注文の方はご注文
ください。よろしくお願いいたします。


森本省念著

上巻:語録編
下巻:回想編

◆西田幾多郎の弟子として、「あの男は死なせ度なきもの也」と言わしめ、
鈴木大拙が最も高く評価した現代最高峰の知る人ぞ知る禅僧 森本省念老師
の己事究明の記録をまとめた本物名著上下巻セット!

「本書『森本省念老師』は上下二冊に分かれている。
まず上巻には、老師が書かれた文章と手紙、および老師の法を嗣がれた
半頭大雅老師との対談などを収め、下巻には伝記および老師にゆかりの
あった方々の思い出を収めた。」あとがきより

「或る時、西田幾多郎の主治医が「先生はむつかしい顔をして何を考えていなさるか」
とたずねると、西田は笑って答えた、「わしは丸いものを考えている。これが見つかると、
いろいろ反対の学説が、種々の宗教が、みなうまく説明出来るのだ、
その「円いものを考えているのだ」と。
これは或る友人から聞いた話として、森本省念老師が記されているものであるが、老師も
また「円いもの」を求めていたと言える。「禅をやっていると、禅そのままではいかん
ことが解ってきます。花が咲けば、実に成り、実は又芽をふき出す様に、禅がつぶれて、
真宗でも、キリスト教でも、禅と反対と思われるものでも包んでしまう様な何か円いものが
必要になってきまっせ。」
この円周上の点はどれをとっても即今始点にして終点であるが、このことは同時にその点
自身が円を一周しおわって初めて真に明らかになる。二人は、自らこの点を化して、
それぞれの仕方でそれを実践究明された。」

「西田と老師は、共に禅の脱落底に発し、それを「無理会の処に向かって究め来り、究め去る」
ことにおいて、道を同じうして轍を同じうせず、と言うべきであろう。
西田が主として哲学においてそれを実践したとすれば、老師は専一なる己事究明において、
それを実践した。西田が、哲学者として、その純粋経験(あるいは絶対矛盾的自己同一)の
立場によって、当時のほとんどすべての学問領域を自己の哲学体系のうちに絶対矛盾的に統一
したとすれば、老師は、禅僧として、西田哲学の淵源である禅を究めることによって、その
脱落底から禅のみならず真宗、論語、キリスト教などの立場を下語的に統一し、かつそれらを
公案化した。「絶対矛盾的自己同一」は「一句に読まねばならない」(鈴木大拙)と言われる。
その意味で、自分それは西田哲学における初関にして最後関とも言いうるものである。
これに応じて、老師にも初関にして最後関とも言うべき一句がある。
「下語するということがあるならば、その下語するということの全体にどう下語するか」
巷間いわれる、西田哲学は禅か真宗か、という問題や、「森本老師は禅から真宗へ行った」、
のか否かという問題も、そこから自ずから明らかになるであろう。」
西田幾多郎と森本省念より

〈上巻 語録編 目次より〉

第一章 対談:一つのものが何故二つに分かれるか 森本省念×半頭大雅
第二章 文集
(一)先師を憶う
(ニ)家憲製作を依頼されたこと
(三)和光同塵底の禅
(四)無為の語義について
第三章 座談
第四章 書簡

解説 西田幾多郎と森本省念
あとがき

〈下巻 回想編 目次より〉

第一章 伝記
第二章 回想

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