東京都江戸川区の篠崎にある熱い篤い本屋です!
カート
ユーザー
書籍を探す
ブログ
コンテンツ
ブッダが見つけた四つの真実
1,760円(税160円)
購入数

ブッダが見つけた四つの真実
1,760円(税160円)
ゾンサル・ジャムヤン・ケンツェ著


いまや仏教は西洋社会で栄えているようです。
その原因として、物理学の世界が仏教の世界を
説明しているような事実に突き当たったから
でしょう。

もはや仏教の語る真理は科学であり、
リアリティの世界なのです。
ぼく自身もいくつもの仏教に関する本に出会って、
現実の世界がその思想によって、
みるみると変化していることを実感しています。

この著者もそうなのでしょう。
仏教の教えを現代的な考え方に合うように
変化させ、説明を施しています。
一文を下記にご紹介しましょう。



『無知とは、単純に事実を知らないこと、事実に対する思い違い、あるいは不十分な知識しかないことのいずれかです。
これらの無知の形態は、どれも誤った理解や解釈、過大評価や過小評価をもたらします。
たとえばあなたが友人を探していて、遠くの野原に彼を見つけたとします。
ところが近づいてみると、あなたはかかしを友人と見間違っていたことに気がつきます。
あなたはきっと失望するでしょう。
しかし、かかしと友人のどちらかがあなたを欺こうとしていたわけではありません。
あなた自身の無知があなたを騙したのです。

このような無知に端を発する私たちの行動はすべて憶測に基づいています。
私たちがまったくの無理解や中途半端な理解をもって行動するとき、そこに自信の根拠となるものはありません。こうして、私たちのいつもの不安感が頭をもたげ、さまざまな感情がつくり出されます。
それらの感情の中には、名前がついていないものや、認識することのできないものもあります。
私たちが、階段を一番上まで登り切ることができるとか、離陸した飛行機が目的地に安全に着陸するなどと確信をもっていられる唯一の理由は、私たちが無知の至福にひたっているからに他なりません。
しかしこの至福は長くは続きません。

なぜなら無知の至福とは、物事が自分に有利に働くだろうという恒常的な過大評価と、起こり得る障害への過小評価にすぎないからです。
もちろん、原因と条件がうまくそろえば期待どおりの結果が得られることもありますが、私たちはそのような成功を当然のものと思っています。

そして、そのような成功体験を証拠に、期待に反する結果になるはずはない、自分の想定には十分な根拠があるなどと思うのです。
しかし、そういった想定は誤解の種になります。

私たちが、たとえば、自分は伴侶のことを理解しているといったように想定することは、開いた傷口のように自分自身をさらけ出しているのと同じです。
他の人や物事に依存する想定や期待は、私たちを弱い立場に置きます。
起こり得る数々の矛盾の一つがいつ何時出現し、私たちの想定に塩を振りかけ、私たちをたじろぎ嘆かせることになるかわからないのです。』

このコロナ騒ぎで、マスコミの報道や
お上の御達しで、真実ではない『誤解の種』を
さんざん植え付けられたことによって、
私たちを弱い立場に追い込んでいるように
見えないでしょうか?

いつの時代も無知は社会にとって一番の罪
であるとは、歴史が証明しているところです。

この本を読んで、
一気に無力の脱却を果たしましょう!
この商品を購入する