14歳からの哲学
1,320円(税120円)
池田晶子といえば、この1冊!
池田晶子著
人には14歳以後、一度は考えておかなければならないことがある!今の学校教育に欠けている、14、5歳からの「考える」ための教科書。
「言葉」「自分とは何か」「死」「心」「体」「他人」「家族」「社会」「規則」「理想と現実」「友情と愛情」「恋愛と性」「仕事と生活」
「メディアと書物」「人生」など30のテーマを取り上げる。
読書感想文の定番,中高大学入試にも頻出の必読書。年代を超えて読み継がれる著者の代表作。
●14歳の人へ、14歳以上の人へ、――「あとがき」より
○14歳の人へ、
このような仕方で物事を考えることを、「哲学」と言います。
もし君が、このようなものの考え方、当たり前に思っていることが本当はどういうことなのかを知りたくて考えるということに、もっと興味があるのなら、書店か図書館へ行って、「哲学」と名付けられたコーナーを見てみるといいでしょう。そこには、古くはプラトン、デカルト、カントといった有名な名前の人々の本が並んでいるし、新しくは現在生きている人によって書かれた本もたくさんあります。
でも、たとえ今の君がそれらの本を手に取って読んでみても、聞きなれない言葉や変な言い回しがいっぱい出てきて、おそらくちんぷんかんぷんでしょう。大学へ行けば、それらを専門に勉強するための学科もありますが、でも、もし君がこの本に書いてあるような仕方で「考える」とはどういうことなのかがわかったのなら、あれらの本を無理して読んだり、専門の知識を覚えたりする必要は、必ずしもないのです。
なぜだかわかりますね。だって君が求めているのは、「考えて、知る」ことであって、「読んで、覚える」ことではないからです。自分で考えて知るために、他人の本を読んで覚える必要はありません。むろん、あれらの哲学者たちは、自分で考えて知ったことを、書いて本にして残したわけですが、それらを読んで考えるとはどのようにしてなのか、まずそれがわかっているのでなければ、それらを読んでも何も知ることはできないでしょう。でも、そんな仕方で哲学の本を読んで、考えたつもりになってしまうことが多いので、あれらの本を読むのは、自分で考えるとはどのようにしてなのか、なんとなくでもわかってからの方がいいかもしれません。そうして考えながら読んでみるなら、あんなに面白い読書はありませんよ。
だからとにかく大事なことは、君が、「知りたい」という気持ちを強くもっているということ、ただそれだけだということです。あれらの立派な哲学者たちだって、考え続けていた理由はそれに尽きるのだから、その意味では全く同じなのです。だからこそ、哲学という考える営みが、人類によってなぜずっと続けられてきたのか、はっきりとわかるなら、君はもうすでに哲学を始めているということになるわけです。たとえ「哲学」という名前なんか知らなくてもね。
この本が、そのささやかなきっかけになることを、期待しています。
○14歳以上の人へ
「哲学」という何かが、自ら考えるより先に存在しているわけではないのですが、哲学史や学説を覚えることが哲学であるという誤解は根深く、あるいはそれらを「やさしく」解説したところで、やはり自ら考えられているわけではなく、さらには自ら考えているかのようで、単なる個人の人生観であったり、そんなこんなを見るに見かねて、とにかく人が素手で考え始めるその生の始まりを伝えるべく、このような教科書の形で書いてみました。
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池田晶子著
人には14歳以後、一度は考えておかなければならないことがある!今の学校教育に欠けている、14、5歳からの「考える」ための教科書。
「言葉」「自分とは何か」「死」「心」「体」「他人」「家族」「社会」「規則」「理想と現実」「友情と愛情」「恋愛と性」「仕事と生活」
「メディアと書物」「人生」など30のテーマを取り上げる。
読書感想文の定番,中高大学入試にも頻出の必読書。年代を超えて読み継がれる著者の代表作。
●14歳の人へ、14歳以上の人へ、――「あとがき」より
○14歳の人へ、
このような仕方で物事を考えることを、「哲学」と言います。
もし君が、このようなものの考え方、当たり前に思っていることが本当はどういうことなのかを知りたくて考えるということに、もっと興味があるのなら、書店か図書館へ行って、「哲学」と名付けられたコーナーを見てみるといいでしょう。そこには、古くはプラトン、デカルト、カントといった有名な名前の人々の本が並んでいるし、新しくは現在生きている人によって書かれた本もたくさんあります。
でも、たとえ今の君がそれらの本を手に取って読んでみても、聞きなれない言葉や変な言い回しがいっぱい出てきて、おそらくちんぷんかんぷんでしょう。大学へ行けば、それらを専門に勉強するための学科もありますが、でも、もし君がこの本に書いてあるような仕方で「考える」とはどういうことなのかがわかったのなら、あれらの本を無理して読んだり、専門の知識を覚えたりする必要は、必ずしもないのです。
なぜだかわかりますね。だって君が求めているのは、「考えて、知る」ことであって、「読んで、覚える」ことではないからです。自分で考えて知るために、他人の本を読んで覚える必要はありません。むろん、あれらの哲学者たちは、自分で考えて知ったことを、書いて本にして残したわけですが、それらを読んで考えるとはどのようにしてなのか、まずそれがわかっているのでなければ、それらを読んでも何も知ることはできないでしょう。でも、そんな仕方で哲学の本を読んで、考えたつもりになってしまうことが多いので、あれらの本を読むのは、自分で考えるとはどのようにしてなのか、なんとなくでもわかってからの方がいいかもしれません。そうして考えながら読んでみるなら、あんなに面白い読書はありませんよ。
だからとにかく大事なことは、君が、「知りたい」という気持ちを強くもっているということ、ただそれだけだということです。あれらの立派な哲学者たちだって、考え続けていた理由はそれに尽きるのだから、その意味では全く同じなのです。だからこそ、哲学という考える営みが、人類によってなぜずっと続けられてきたのか、はっきりとわかるなら、君はもうすでに哲学を始めているということになるわけです。たとえ「哲学」という名前なんか知らなくてもね。
この本が、そのささやかなきっかけになることを、期待しています。
○14歳以上の人へ
「哲学」という何かが、自ら考えるより先に存在しているわけではないのですが、哲学史や学説を覚えることが哲学であるという誤解は根深く、あるいはそれらを「やさしく」解説したところで、やはり自ら考えられているわけではなく、さらには自ら考えているかのようで、単なる個人の人生観であったり、そんなこんなを見るに見かねて、とにかく人が素手で考え始めるその生の始まりを伝えるべく、このような教科書の形で書いてみました。